西加奈子『ある風船の落下』感想|“風船病”が示すストレス社会の裏表

ストレス社会の闇を背景にしたコミカル短編小説

朝の満員電車で「これ以上、息ができない!」と感じるほどのストレスをかかえたことはありませんか?
仕事に追われ、勉強にあえぎ、人間関係に疲れ…誰もが少しずつ心の風船を膨らませているはず。
今回はそんなストレスが原因で世界中に奇病が蔓延する短編小説、
「ある風船の落下(西加奈子著)」をご紹介します。
テーマは少し重いのですが、
終始描写がコミカルなため、心がどっちつかずなまま読み進めることになります。
しかし、不思議とそれが心地よい作品です。
「ある風船の落下」は
短編小説集『炎上する君』に収録されています。
Amazon.co.jp: 炎上する君 (角川文庫) : 西 加奈子: 本
同小説集に収録されている「私のお尻」を紹介した記事はこちら
西加奈子『私のお尻』感想|笑いと苦味が同居する短編 | より笑う人生
あらすじ

ストレスによって体にガスが充満する奇病が世界中に蔓延する。
病名は「風船病」。
症状が進行すると、やがて体は宙を漂うようになる。
そして最終的には、はるか上空に体が飛翔し、地上には戻ってこない。
最初は哀れみからか厚遇されてきた風船病だったが、
いつの日からかこの病気は「自殺願望のあらわれ」ではないかという見解が広まり、
冷たい目で見られるようになってきた。
主人公の女性ハナも風船病患者のひとり。
自身の生い立ちの影響で家に籠っていたが、
ある日自宅に投函されたチラシの内容に動揺する。
母に相談するハナだったが、
事なかれ主義の母からはそっけない回答しか返ってこない。
そしてハナにも飛翔…通称『SHOOT』の時が来た。
奇病「風船病」のあまりにもコミカルな描写

本作には
「他人から裏切られても、何も考えずに浮遊し続ける風船のような存在になってよいのか」
というテーマがある(わたしの勝手な解釈)のですが、
風船病患者の描写がとにかくおもしろい。
世界ではじめて風船病患者が上空へ飛翔した事例の描写が圧巻です。
数センチだった浮遊は、ある日、数十センチ、数メートルになり、<中略>そして最終的には、土の天井を突き破って、空へ飛び去ってしまった。
西加奈子『炎上する君』収録「ある風船の落下」(角川文庫, p.174)
とてつもなく深刻な事象なのに、あまりにもコミカルな描写。
ただただ起きた事を事細かに書いているだけとも言えるのですが、
最後に天井を突き破って飛び立つところだけギャグ漫画のごとくな描写で
口角が上がるのを我慢できません。
そこまでやる?徹底して練られた風船病の設定

この風船病ですが、
設定がなかなか練られています。
風船病の設定
風船病には4つの段階(TERM1~TERM4がある)
・TERM1:体が膨らむ状態。まだ浮遊はしていない。
・TERM2:体が2cmほど浮遊している状態。
・TERM3:2cmほどの浮遊をやめ、宙に浮きだす状態。
・TERM4:空高く飛翔する。通称『SHOOT』。
なお、TERM3はごく短時間でありSHOOTへの前段階であるため、
勘定にふくめるべきではないとする学者もいる。
SHOOTで飛んだ人の行方はつかめておらず、大気中で消滅する説がある。
そのためTERM4を”TERM FINAL”と呼ぶ学者もいる。
この細かい設定、話の流れや結末には一切役に立ちません(笑)。
西加奈子さんの遊び心だと思います。
風船病への対処法や治療の確立、そして SHOOT した人々の行方――本来なら優先度の高い課題が山積みのはず…。
そんな状況下で、
各事象の段階をどう呼ぶかを必死に考える学者のなんと滑稽なことでしょうか。
世界中でコロナが蔓延したときに、
正式名称はCOVID-19!とドヤ顔で発表するWHOを思い出しました。
…いや、別に悪いことはしてないんですけどね。
冷淡な母親の言葉。そしてハナは…

主人公のハナは
幼少時代から両親からまともな愛情を受けられませんでした。
弟が非行に走ったときも。
自身が学校でいじめにあったときも。
事なかれ主義の両親は見て見ぬふりでした。
自宅に籠っていたハナの自宅にチラシが投函されており、
そこに書かれていた文言に打ちのめされてしまいます。
『お前には地上にいる資格はない。飛べ。』
今このときこそ、両親の愛情が必要だと感じたハナ。
しかし母親からのそっけない言葉と、その後のハナの描写には度肝を抜かれます。
「大丈夫よ。あなたはここにいないことにするから。窓際には立たないでちょうだい。」
その夜、私にSHOOTが訪れた。
西加奈子『炎上する君』収録「私のお尻」(角川文庫, p.183)
あまりにも冷淡は母親の言葉。
その次の行で、ハナは空へ高く飛翔する…。
その徹底した救われなさに、何とも言えない感情とともに笑いが止まりませんでした。
さて、SHOOTしたハナのその後はどうなったか。
学者の見解通り「消滅」したのか。
ぜひ本を直接手に取って確認してください。
Amazon.co.jp: 炎上する君 (角川文庫) : 西 加奈子: 本
同様に重いテーマで笑わせる話
1つ重いテーマを置いておきつつ、
「ん?なんだこの展開?」
とシリアスな展開から少し脇道にそれていき、
混乱と同時に一種の心地よさも感じさせる…。
西加奈子さんのうまいところなのかなぁと思います(偉そう)。
おなじような手法で笑わせてくれる小説をあげておきます。
Amazon.co.jp: 通天閣 (ちくま文庫) : 西 加奈子: 本
さいごに
今回は『炎上する君』に収録されている「ある風船の落下」を紹介しました。
『炎上する君』は短編小説集で、
各話が比較ポップで読みやすいのでお勧めです。
また、本のタイトルにもなっている「炎上する君」は映画化もされています。
そちらもぜひ!!
Amazon.co.jp: 炎上する君を観る | Prime Video